📚 古本と記憶の物語:祖父の本屋が教えてくれたこと
いつも読んでくださっている方も、今日たまたま見つけてくださった方も、 ありがとうございます。 暮らしの中で感じたことを、気ままに綴るブログです。
今回は、私が幼い頃に盛岡の町中の長屋で営まれていた、 祖父の小さな本屋について書いてみようと思います。
🏘️ 盛岡の長屋にあった祖父の本屋
祖父は私が小学6年生のときに亡くなり、 そのときに長年続けてきた本屋も静かに幕を閉じました。
町の一角にあるトタン屋根の長屋。 小さな看板の奥が本屋で、その奥は住まいと台所につながっていました。
決して大きなお店ではありませんでしたが、 本がずらりと並んだあの空間の空気は、今でも鮮明に心に残っています。
📖 親族へ受け継がれた「本屋の血」
不思議なことに、祖父の兄も別の場所で本屋を営み、 祖父の弟やその子ども(私の叔父)もまた本屋を開いていました。
「この家には、本屋の血が流れているのかもしれない」 そう思わずにはいられません。
祖父の家は、私が住んでいた弘前からお盆に帰る場所でした。 水道はなく井戸水、トイレも外。 町の中なのに「どうして?」と子ども心に不思議に思った記憶があります。
📚 古本への意識の変化
子どもの頃の私は古本に興味がなく、 「新しい本がいいのに」と思っていました。
でも今なら、あの本棚も、紙の匂いも、 すべてが宝物のように感じられます。
古本って、誰かの時間や思い出がそっと染み込んでいて、 新品にはない温度があるんですよね。
🌿 記憶の中で息づく「本屋の空気」
今では両親も祖父母も亡くなってしまいました。 けれど、家族が大切にしてきた店や本の空気は、 記憶の中で静かに息づいているように思います。
古本を手に取ると、 あの長屋の薄暗い店内や、祖父の姿がふっと蘇ることがあります。
本はただの紙ではなく、 “記憶を運ぶ小さな箱” なのかもしれません。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。 昔ながらの盛岡の暮らしや、古本の温かさを少しでも感じてもらえたら嬉しいです
