パワハラで退職した:8「10年放置されたパワハラ主任──崩れた現場と、孤立の結末」

2025/09/11

パワハラで退職した

t f B! P L

 🕊 ようこそ

いつも読んでくださっている方も、今日たまたま見つけてくださった方も、
ありがとうございます。
東北の厨房会社で15年間勤めて、パワハラが原因で会社を辞めた経緯を書いています。

今回は、私が以前いっしょに働いていた「パワハラ主任」が、
ついに“ひとり部署”に異動するまでの話と、
その裏側で静かに進んでいた“心の崩壊”についてお話ししようと思います。

登場人物と会社のこと


東北の厨房会社で、パートとして15年間働いていました。体力も気力も必要な現場でしたが、地道にやってきました。いろんなことがあって、最終的にはパワハラが原因で退職しました。

I主任
ラインの“主”のような存在。声が大きくて、怒ると手がつけられないタイプ。自分のやり方にこだわりが強くて、ちょっとでも違うやり方をするとすぐ怒鳴ります。長年パワハラを繰り返してきたけれど、会社はずっと放置していました。

リーダー
もともとは別のラインの責任者だった男性で、ラインに異動してきました。穏やかで人あたりもよく、みんなから信頼されていました。だけど主任の強いプレッシャーにさらされ続けて、心を壊してしまいます。休職をはさんで復帰しますが、以前の元気は戻りませんでした。

会社
東北にある厨房製造会社。現場の声が上に届きにくく、問題のある人がそのまま放置されることも少なくありません。動き出すのが遅くて、現場がボロボロになるまで何もしない体質でした。


🔍 何が起きていたのか


🔍 何が起きていたのか

これは、主任が“隔離部署”に異動になる前の出来事です。
私はすでに別のラインに移っていたんですが、ラインの様子はすぐ隣から丸見えで
毎日、イヤでも目に入ってきました。

ある日、別のラインからリーダーが異動してきたんです。
名目は「人手不足の応援」ってことになってたけど、
本当のところは、主任をラインから外す準備だったんですよね。

そのリーダー、物腰がやわらかくて、すごく感じのいい人だったんです。
でも主任は、そんな彼のやり方が気に入らなかったようで…。




しだいにプレッシャーが強まっていって、
あちこちで主任の怒鳴り声が響くようになりました。

工場中に響き渡る**「何度言ったらわかるんだよ!」**という怒鳴り声。
主任は、とにかく“自分のやり方”以外を認めない人。少しでも手順が違うと、
すぐ怒鳴るんです。

リーダーは冷静に対応してたんですけど、それがまた主任の逆鱗に触れたのか、
「こいつ、なめてんのか」とでも思ったのか、ますます攻撃的になっていって…。

正直、見ていてつらかったです。
**ああ、これは時間の問題だな…**と、誰もが思っていました。

💔 このままじゃ壊れちゃうよ…

やがてリーダーは休みがちになり、ついに姿を消しました。
あとで知ったのは、病院でうつ病と診断され「即休職」と言われたこと。

あんなに明るかった人が──。
胸がぎゅっとなりました。

けれど主任は、何も変わりませんでした。
怒鳴り、責め立て、いつも通り現場に立ち続けていました。

🕘 リーダーが戻ってきたけれど


1ヶ月後、リーダーは復帰しました。
でも、もう以前の姿ではありませんでした。

出勤は遅れがち、早退も多い。
何より、あの明るい笑顔が消えていました。

周りのみんなが「もう無理はさせられない」と感じるほど、
静かな人になってしまっていました。


⚠️ ようやく会社が動いた

その出来事がきっかけになって、会社もようやく動き始めました。
現場の空気は、もう限界でしたからね。

このまま主任を放っておいたら、次は誰が壊れるのか。
そんな、張りつめた静けさが漂っていました。

そして──会社は主任を**“ひとりライン”に異動**させる決断をしました。

そこは、今までの仕事とはまったく違う工程。扱う部品も異なり、経験も通用しない、誰とも関わらない部署。

主任がただ黙々と作業する場所。声を封じるための隔離としか思えませんでした。

⏳ 本当は、もっと早く動けたはず

でもね、正直言って**「ようやくか…」**という気持ちでした。
ここまで放っておいた会社にも、やっぱり問題があったと思います。

たとえば、当時よく相談に行っていたT課長。話しやすい人だったので、私も何度も足を運びました。私だけじゃなく、他にも同じように相談していた人は何人もいたんです。

だけどそのT課長、**「パワハラでも仕事ができるなら優秀」**という考え方の人でした。その価値観には、本当にがっかりしました。

しかも、いつの間にか**「課長に相談しても何も変わらないよ」**という声もよく聞くようになって。
現場の声に耳を傾けてくれていたはずの人が、何もしてくれなくなった。
そういう“あきらめ”みたいな空気が、じわじわと広がっていったんです。

クーラーのない工場で、業務用扇風機が壊れたときも、**「新しいのをお願いしたけど、買ってもらえなかった」**なんて話が出るようになっていました。

人の声だけじゃなくて、**壊れたモノの声にも、会社は耳をふさいでいたんだなあ…**って、今になって思います。

数年後、私が退職したあと、会社のHPでそのT課長が工場長になっていたのを見たとき、もう言葉が出ませんでした。**「あの人が…?」**って。

📆 10年も、放置されていたという事実


でもね。ここに至るまでに、10年かかったんですよ。
そのあいだに、何十人という社員やパートが辞めていきました。

泣き寝入りした人もいると思います。
黙って去った人も、今もどこかで傷を抱えてるかもしれない。


🚫 仕事ができる人だから”で済まされてきたことが、あまりにも多すぎた

たしかに、I主任は**“仕事はできる人”**でした。
でも、それを理由にずっとパワハラが見逃されてきたんです。

たとえば──
仕事ができる人なら、多少のことは目をつぶる。
パートの言うことなんて、いちいち聞いてられない。

そんな空気が、会社全体に漂っていたように思います。

✉️ この話が、今つらい思いをしている誰かに届いたらうれしいです。


誰にも言えず苦しんでいる方がいたら、「自分だけじゃない」と少しでも感じてもらえますように。
心が削られる前に、どうか自分を守ってくださいね。
もし同じような状況にある方がいらっしゃったら、一人で抱え込まず、信頼できる人や専門機関に相談することをお勧めします。
私のように限界まで我慢する必要はありません。
あなたの心と体の健康が、何よりも大切です。









このブログを検索

最新の記事

お問い合わせはこちら

名前

メール *

メッセージ *

QooQ